お札に描かれた人物といえば、誰を思い浮かべますか?
ちなみに現在のお札のラインナップ(2004年~)は、以下の通りですね。
10,000円札 | 福沢諭吉(ふくざわゆきち) |
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5,000円札 | 樋口一葉(ひぐちいちよう) |
1,000円札 | 野口英世(のぐちひでよ) |
「紅一点」は樋口一葉。
そして一世代前のラインナップ(1984年~)だと、こんな感じでした。
10,000円札 | 福沢諭吉(ふくざわゆきち) |
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5,000円札 | 新渡戸稲造(にとべいなぞう) |
1,000円札 | 夏目漱石(なつめそうせき) |
福沢諭吉の「長期政権」が少々気になりますが、筆者はギリギリもう一世代前のラインナップを記憶しています。
10,000円札 | 聖徳太子(しょうとくたいし) (1958年~) |
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5,000円札 | 聖徳太子(しょうとくたいし) (1957年~) |
1,000円札 | 伊藤博文(いとうひろぶみ) (1963年~) |
500円札 | 岩倉具視(いわくらともみ) (1951年~) |
聖徳太子が二種類の紙幣に登板しています。昔の刑事ドラマに出てくる500円「札」というところに時代を感じますね。
といえば、聖徳太子の一万円札の札束が定番でした。また、さてさて、これ以外では、どんな歴史上の人物がお札の肖像画に使われていたのでしょうか?
菅原道真(すがわらのみちざね)
5円札(1888年~)・20円札(1917年~)・35円札(1943年~)など
平安時代の学者、政治家。宇多天皇に重用され、その治世を支える。醍醐天皇の下で右大臣まで昇りつめるも、ライバルであった藤原氏と対立し大宰府に左遷される。「東風(こち)吹かば~」の歌や、各地の天満宮に祀られる“学問の神様”として有名。
【MEMO】
大阪市東淀川区にある「淡路」「菅原」という地名は、菅原道真が大宰府に左遷される途上、淀川下流の中洲を「淡路島」と勘違いして上陸したという逸話に由来するそうです。
そんな「ウッカリな」一面も見せる“学問の神様”菅原道真ですが、お札の肖像画にもなっていることを考えると、学業成就や合格祈願だけでなく、思わず金運のご利益も期待してしまいますね。
中臣鎌足(なかとみのかまたり)
100円札(1891年~)・20円札(1931年~)・200円札(1945年~)など
飛鳥時代の政治家。645年、中大兄皇子(後の天智天皇)らとともに蘇我氏を滅ぼし、「大化の改新」の中心人物となる。臨終に際して、天智天皇より「大織冠」という冠位と「藤原」姓を賜る。後に栄華を極める藤原氏の始祖。
【MEMO】
人物としての鎌足を指す場合は「中臣鎌足」、藤原氏の祖としての鎌足を指す場合は「藤原鎌足」とするのが通例。お札のモデルとしては、後者で認識されているようです。
ちなみに、大阪府茨木市と高槻市の境にある阿武山古墳は、以前から中臣鎌足の墓との説があります。X線写真により分析された刺繍糸が、上記の「大織冠」のものではないかと言われているとか。
高橋是清(たかはしこれきよ)
50円札(1951年~)
明治、大正、昭和初期の官僚、政治家。初代特許庁長官、日銀総裁、大蔵大臣、第20代内閣総理大臣を歴任。積極的な財政金融政策で昭和恐慌を克服した実績で知られる。米留学中に騙されて奴隷として売られた話でも有名。
【MEMO】
自伝に記された若い頃の数々の“武勇伝”や、政治家となってからも国会本会議場の席で堂々と茶碗酒をすすっていたなどの伝説が残る豪傑。
これまで日本のお札に描かれた人物で、“メガネをかけている”のは高橋是清と新渡戸稲造の二人だけだそうです。これに続くのは、“グラサン”の黒澤明あたりでしょうか?
板垣退助(いたがきたいすけ)
50銭札(1948年~)・100円札(1953年~)
幕末期の武士、明治期の政治家。自由民権運動の主導者として知られ、「庶民派」の政治家として国民から圧倒的な支持を受けていた。国会議事堂の中央広間に銅像が建つ三人の政治家のうちの一人(他は、大隈重信、伊藤博文)。
【MEMO】
板垣退助といえば、岐阜での演説後、暴漢に襲われて暗殺されかかった際に言ったとされる「板垣死すとも自由は死せず」の名言で有名です。
しかし後に、本人自身が回想録で「アッと思うばかりで声も出なかった」と記しているほか、実際は周囲の人間が発した言葉であるとの説、地元の土佐弁で叫んだという説、「痛い、医者を呼んでくれ」と言った説など、これには諸説あるようです。
二宮尊徳(にのみやたかのり/そんとく)
1円札(1946年~)
江戸時代後期の農政家、思想家。経済と道徳の融和を基本に据え、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すればいずれ自らに還元されると説く「報徳思想」を提唱。「報徳仕法」と呼ばれる農村復興策・財政再建策を主導した。
【MEMO】
二宮尊徳の通称は「金治郎(金二郎)」。かつては各地の小学校に二宮金治郎の「薪を背負って本を読む」石像が建てられていましたが、現在では減少の一途をたどっているようです。
その主な理由は、「歩きながら本を読むのは危険」「子供が真似すると危ない」といった交通安全上の問題であるとか。現代の「歩きスマホ」にも通ずるとの意見も多数。
その他の「お札に描かれた人物」
神功皇后(じんぐうこうごう) | 1円札(1881年~)ほか |
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武内宿祢(たけのうちのすくね) | 1円札(1889年~)ほか |
和気清麻呂(わけのきよまろ) | 10円札(1890年~) |
日本武尊(やまとたけるのみこと) | 1,000円札(1945年~) |
※神功皇后は、日本初の「お札の肖像」にして1例目の女性。
「楠木正成(くすのきまさしげ)の5銭札」(1944年~)戦時中、金属の不足により貨幣が造れなくなったため、応急処置として登場した小型・小額の紙幣。描かれているのは、楠木正成“像”で、正確には“人物”として用いられたわけではない。そのため公的には、この5銭札の楠木正成は「お札に描かれた人物」としてはカウントされていないようだ。
おわりに
お札に使われる肖像の人物選定には明確な基準があるわけではないそうです。
ただ、注意が払われている点として、次のようなものが挙げられています。
- 極力実在の人物
- 業績があり知名度も高く親しみやすい人物
- 国民から尊敬される日本を代表するような人物
- 偽造防止の観点から、簡単に複製できず、かつ人の目を引く特徴のある顔の人物
これらをヒントに、次にお札に登場するのは一体誰の肖像画になるのか、あれこれと想像をめぐらせてみるのも楽しいかもしれませんね。